2011年10月10日月曜日

市民防衛講座

先日、自衛隊の市民防衛講座に行ってきました。毎年、年に4回開催されていた講座ですが、今年は3月の震災の影響で、これが今年最初の開催でした。

講師は、陸上自衛隊 第22普通科連隊長で多賀城駐屯地指令 國友昭一等陸佐です。宮城を中心に東北出身者がほとんどで「宮城の郷土連隊」として地域と共に歩んできた連隊の皆さんが、未曾有の大震災でどのように活動したのか、地震発生の3月11日から、任務終了に至る8月1日までの144日間の報告でした。

地震発生直後からの自衛隊ならではのトップダウンの指示によるスピードで、多くの命が救われました。多賀城駐屯地も1メートルの津波が到達して、非常用の発電機も浸水し、外との連絡も取れない中、日頃の訓練で培われた部隊の強さで「有事」ともいえる震災でも任務を遂行させることができたんですね。
被災してからの4〜5日間は、隊員の皆さんは、ずっと通して人命救助にあたられました。家族の安否もわからないまま、殉職した隊員の確認にも行けないまま、家族の電話もつながらないまま、自宅のそばまで行っても立ち寄ることもできず、とにかく目の前の救助を優先させなければならない、どんなに苦しかったことでしょう。
ふだん仙台で暮らしていれば当たり前に使っていた道路が、泥やがれき、車で埋まり、まったく通れないところを啓開したのも、運河を少しずつせき止めて人海戦術で川底を捜索したのも皆さんでした。胴長もがれきやガラスで破けたりして中はずぶぬれになっていたそうです。
人の命が助かるであろう限られた時間を超えてから、遺体の捜索が始まって季節が進むと、気温の上昇とともに、過酷さは増していったそうです。中でも子供のご遺体をみつけることはとてもつらかったそうです。若い隊員の皆さんは、ご自身の祖父母もお若く健在で、身の周りで死に直面したことがない方も多かったと伺いました。皆さん涙を流しながらの作業が続いたそうです。
第22普通科連隊は、宮城の岩沼以北を担任されました。各市町村の災害対策本部では、警察、消防、国交省、地元の消防団、様々な各関連の地域のトップが集まり、情報を共有している写真がありました。首長さんの隣に座り、全体をまとめる國友連隊長の顔は、のびきった髭で覆われていて、必死に震災と戦っていることが伝わってきました。

講演の最後に國友連隊長は、「隊員を突き動かしたものは、ずっと継承されてきた、武士(もののふ)のDNA。強くなければ国は守れない。教育訓練に間違いはなかった。」また「隊員の雄々しさを支えてくれたのは家族で、家族、隊員を支えてくれたのは、国民の皆さんの激励、感謝の言葉です。」とおっしゃっていました。

実際の現場の声をきいて、この震災の恐ろしさを知ると同時に、本当に連隊の皆さんを頼もしく感じました。この震災では、予備自衛官も出動されました。私たちの破牙神ライザー龍、宮城タケルも即応予備自衛官の設定です。龍にも、部隊の皆さんと同様に、精強で身近なあたたかいヒーローになってほしいものです。



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